2006年9月11日 (月)

9.11 〜あれから5年

2001年9月10日の夜、仕事で渡米中だった僕は、ロス→アリゾナ→オハイオと訪問した後、ニューヨークへと移動中、マンハッタン摩天楼上空を旋回中でした。

ラガーディア空港が混雑しているとのことで、WTC上空を2度旋回しました。
その素晴らしい夜景を見ながら「ああ、こんな凄い夜景を2回も見れるなんて2度とないだろうなぁ..」
そう思って、マンハッタンの街を眺めていました。
9/11-12の2日間マンハッタンで仕事をして、13日には帰国予定でした。

そして翌朝.....

衝撃が走りました。
1機目がつっこんだまさにその時、僕は現場から5キロほど北に離れた、クライアントのオフィスを訪ねていました。

約束の9時になってもなかなか担当者が現れず、しばらくして引きつった顔で、何が起こったかを彼から聞きました。
当初1時間を予定していた打ち合わせは20分程で終わり、急いでホテルへ戻ってTVを見て、初めて何が起こっているのかを目の当たりにし、ショックを受け、家族や会社に無事の電話とメールをした後、翌日訪問予定だった、WTCのすぐ近くの会社の人にメールと電話で連絡を取りましたが、どちらもつながらず......。

しばらくTVニュースに見入っていました。

ホテルから歩いて5分程の5番街から、いつもなら南にそびえ立っているWTCが消えていました。
トンネル、橋、空港、あらゆる交通網が閉鎖され、結局マンハッタンに4日間とじ込められる事になりました。
勿論、仕事のアポは全てキャンセル。
帰国後すぐに予定されていたBREEZEのライブにも出演することができなくなり、メンバーに電話をかけて想いを話し、それを録音してもらって、ライブ当日にメッセージとして流してもらいました。

その間、毎日教会に行き(クリスチャンではありませんが)、またユニオンスクェアの追悼集会にも毎日の様に行きました。
数え切れない程の張り紙やキャンドル...。
現場への救出ボランティアも考えましたが、受付されていないとの事で断念。
自分の無力さがたまらなく辛かった。
何かできないかと、現場近くまで行ってみましたが、1キロ程手前で通行禁止になって、その向こうには生々しい煙があがっていました。

せめて何か出来る事を、と思い、ユニオンスクェアに何百本と立てられたキャンドルの「火守り」をお手伝いしました。
消えたキャンドルに火をつけたり、燃え尽きたキャンドルを取り除いたりする作業です。
他にアメリカ人の若い女性と、アジア系の男性も朝早くから夜遅くまで、火守りをしていました。(後々、9/11に関する写真集を書店でめくっていると、彼女が大きく写っていた本があり、びっくりしました。)

小さな公園ですが、数え切れないぐらいの群衆が集まり、あちこちで演説をしたり、お祈りをしたり、歌を歌ったり...。
アメリカン航空の人達も慰霊に来ました。
一番辛かったのは、ぼくのすぐ横に、若者3人がやって来た時です。
女性の写真を持っていました。
しばらく3人はその写真をじっと見つめていましたが、しばらくしてキャンドルを灯してその写真をそこに置いてから、3人抱き合って泣き出しました。
こういう思いの人が何千人もいるのかと思うと、涙が止まりませんでした。

街では、パトカーや救急車がけたたましく行き交い、また無事を確認できて抱き合う人や泣き崩れる人、ただの野次馬、ニコニコ顔で教会の前で記念撮影をしている日本人らしき観光客.....、いろんな人たちで溢れていました。

4日後、ようやく飛行機が取れ、帰国の途につきましたが、空港へ向かうタクシーや飛行機の窓からマンハッタンをみると、マンハッタン島が真っ黒な煙に包まれ、ゾッとしました。

あの日あの時、日本ではどのように報道されていたのでしょうか?
いずれにせよ、僕にとって9.11は「事件」ではなく、「体験」でした。
一生忘れる事はないでしょう。
5年経った今も、あの日のショックから立ち直れない人たちがたくさんいます。

そして、未だに世界のあちこちで、いろんな紛争や戦争が絶えません。
どうすればいいのでしょう?
自分たちは何をすればいいのでしょう?
何ができるのでしょう?

あの出来事の後も仕事でマンハッタンを何度も訪れましたが、毎回現場に行き、黙祷を捧げていました。
もう1年半近く行っていませんが、5年という節目を迎えるにあたって、改めて、平和の大切さ、命の大切さ、戦争の愚かさを痛感しています。

日本時間でいうと11日深夜でしょうか....。
辛いけど、あの日の事、あの日の思いをもう1度思い出したい。
何も答えは出てきませんが、少なくともあの体験を無駄にはしたくはない、何かしたい、何かを人に伝える事はできないものかと思います。

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2006年6月20日 (火)

BREEZE回顧録No.4 〜98年: イベントの立ち上げ〜

バンド立ち上げ時の目標だったストリートライブを実現し終え、年末までに早速98年の目標を立てました。
ストリートしか経験がなく、また自分達以外にどんなアカペラバンドがいるかもわからず、更にレベルアップしたいという事で、僕のほうからメンバーに次のような項目を提案しました。
1) アカペライベントへの出演と交流
2) 有名なバンドのオープニングアクト、又は共演

イベントについては、実は97年の秋に、大阪ドームで開かれた「Mac Expo」の帰りに、球場に隣接するPadou広場という所を歩いている時、「ああ、こんな場所があったんや。こんな所でアカペラのストリートイベントできたらいいなぁ….」という漠然とした夢を持っていました。
そして、98年の具体的目標のプランを練ろうといろいろイベントを物色したところ.... ない!...。
関西にはアカペライベントらしきものが無かったのです!

東京では。「ファイトストリート」「アカペラ公園」といった、社会人や学生が参加できるオープンなイベントがありましたが、関西では、一部の大学がサークルライブを開いている程度で、オープンなイベントは無かったのです.
「じゃあ、無いなら作ってしまおう!」と単純な発想の僕は、早速アカペラ関係のBBSに書き込みをしました。
当時は「JAC (Japan Acappella Central)」、現在のacappella.co.jpです。

98年1月11日に「関西にアカペライベントはないのでしょうか?」という書き込みをしました。
早速返事があったのが、京都大学アカペラサークルのM氏と、関西社会人アカペラの草分け的存在のRag JacketsのK氏の2人でした。
早速3人で、掲示板やメールや電話でやりとりしながら構想を練り、2月に実行委員を募って指導しよう!ということに決定しました。BREEZEのメンバーにも協力を依頼し、PHACOとZINGが快諾してくれて、社会人4人、学生3人からなる実行委員会が発足、5月開催に向けて一大イベントをやろう!ということでスタートしました。
イベント名は「関西アカペラの集い」「アカペラの夕べ」などなど、いろいろ候補があがりましたが、僕の頭に浮かんだ「お祭り、祭典」という意味の「ジャンボリー」を入れることで決定!
これが、今では日本最大のアカペライベントになった「関西アカペラジャンボリー(KAJa)」の誕生でした。

会場については、プロ/アマ、学生/社会人を問わないアカペラーの交流の場だけではなく、アカペラを知らない人にも広く知ってもらおうということで、屋外イベントにこだわりました。
開催場所については、第一候補の京都駅ビル大階段がNGということで、みんなでいろんな場所をあたりましたが、結局僕が最初にイメージに描いていたPadouに決定! 先方にもイベントの趣旨を理解いただき、大変なサポートをいただきました。
参加バンドは、当時はどんなバンドがどれだけあるのかもわからず、M氏があちこち駆けずり回ってたくさんのバンドを発掘してくれました。これにプロやノンプロで活躍中のバンドに学生サークルからの出演を加え、20数バンドの出演が固まりました。

開催がある程度具体化した時点で、東京のイベントまで宣伝に行きました。(ついでに歌ってきましたが ^^)
この時に関東のいろんなアカペラーと知り合うことができ、実際にKAJaにもたくさんの人達がかけつけてくれ、中にはスタッフまでやってくれた仲間もいました。北陸や九州から来てくれた人達もいました。

約3ヶ月ちょっとという短い準備期間で立ち上げた第1回KAJaでしたが、飛び入り含めて35バンド近くが参加の,すごく盛り上がったイベントになりました。
MCをやっていたZINGの最後の締めの一言「関西アカペラジャンボリー...、やってよかったぁ!」の一言に会場は大喝采。

翌日には、雨天順延の場合の会場として抑えていた、大阪の中ノ島野外音楽堂での打ち上げ的な、フリーな集いをやり、ここでもいろんなセッションバンドで盛り上がりました。(「よりアイ」の前身といっても良いでしょう。)

BREEZEの活動の一環として立ち上げた話が、のちのち、日本最大のアカペライベントになり、今思うととても感慨深い企画で、やって本当に良かったと思います。この時、自分が夢に描いたものはまず実行してみる、自分が動けば何かが起こる、ということを実感した貴重な経験でもありました。
KAJaはその後何年も継続して行って欲しかったので、イベントのホスト的な役割は学生の皆さんにバトンタッチしたほうが賢明と考え、翌年も学生サークルの仲間中心の運営にゆだねることになりました。

今回は、BREEZEの軌跡というよりは、KAJaの起源の話になってしまいましたね。
でもこれで98年の目標は1つクリア!
次回は、もうひとつの目標に向けての活動について触れてみたいと思います。

(続く)
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2006年6月19日 (月)

BREEZE回顧録No.3 〜ストリートライブ〜

いよいよストリートデビュー!
結成から5ヶ月でレパートリーもだいぶ増えました。
歌っていた曲は;
「Good Old Acappella」、「Zombie Jamboree」、「So Much In Love」、
「Olivia」、「Pretty Woman」、「Longest Time」、「Charming」、
「Sweet Memories」、「In The Still Of The Night」、
「Rock Around The Clock」、「Come Go With Me」などを始めとして、
アカペラーならお馴染みの定番曲14,5曲。しかし、2週間に1回の
練習で、5ヶ月でよくここまでやったもんだと感心してしまいます。
今では考えられない!

初ストリートは97年11月末、京都四条高島屋前。PA無し!
さすがに季節的にも寒かったし、生声ということで集客状況も
寒かった(>_<)
でも4-5人ぐらいは立ち止まってくれたり、待ち合わせの人たちが
横で聞いててくれたり、1人ちょっと変わったおじさんが、
ずっと僕たちの横に立って眼を閉じてずっと聞いててくれました。
不完全燃焼だったメンバーは、帰る途中の道端で再び
突然ストリート再開!
でも雨が降ってきて、その日は中断しました。

いろいろ考えた結果、「やっぱりPAは必要だ!」ということに
なって、知人の発電機を借り、機材はPHACO所有のものを使って、
12月に入ってからのストリートからはPA有り、ついでに照明と、
クリスマスということで、クリスマスツリーも準備して行ないました。
梅田、京橋、三ノ宮、難波....。
とにかく、毎週末やってましたねぇ...。
梅田では、発電機が言うことを聞かなくて急遽中止したり、
屋台のおじさんと縄張り争いになりかけたり、京橋ではお巡りさんとの
せめぎ会いがあったり、三ノ宮ではOPA前でホテルに向かって
ガンガンに鳴らしたり(振り返れば後ろに交番が.....(汗)
でもお咎めはありませんでした。)
ルミナリエの時期だったので、ストリートが終わってから
「ここで歌おうぜ!」とルミナリエの会場へ..。
「ワン、トゥー、スリー、フォー!!」で歌い始めようとすると同時に
照明が消えてずっこけた、っていうこともありました。
梅田では何回かやりましたが、一番ノリがよくで、投げ銭もたくさん
入れてもらえました。

他にも、書ききれないほどいろんなことがありましたが、
とにかく、結成時の熱い目標を1つ実現し、97年のBREEZEの
活動は幕を閉じました。そして年末までに98年の目標を具体的に立て、
新たな目標を実現していくことになります...。

やっと1年目が終わりました...。(^^;)

(続く)
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2006年6月 6日 (火)

BREEZE回顧録No.2 〜6人編成へ〜

バンド立ち上げの時に立てた目標の、年末ストリートライブを、京都四条、梅田、難波、三ノ宮でやることに決定!
レパートリーも、リーダーTAMANSの怒濤の様な耳コピ楽譜攻勢のおかげで10数曲になり、宣伝等のチラシも作成し、初ストリートを間近に控えた10月(確か?)の事。
ZINGから電話が....
Z:「あの〜、体調やばいです...。鼻が...。ひょっとしたら手術かも....」
井: 「え〜? 大丈夫かぁ? 手術って... でもあと少しでストリートやで! 回復間に合うか?」
Z:「なんとかします......。」
(以上、なんせ9年前の話なので、一部不正確かも....^^;)

この会話の後、すぐにTAMANSに連絡!
井:「ZINGがやばいみたいやで〜!」
T:「そうですか...。う〜ん、万一に備えてヘルプ募集しましょか?」
井:「そうやなぁ。大丈夫とは思うけど、万一の為の準備はしとこか」
とこのような会話をして間もなく、BREEZEのHPを見ると、早速「メンバー急病につきハイテナー募集!」と掲載されているではないか! は、はやい!(^^;)

当時のパートは、メインリードはNAKAMURA, あとは残りのメンバーが1, 2曲ずつぐらいリード、という割り振りで、ベースは曲によって僕とSIMONSが交代でやっていました。 ボイパは無し。ZINGのパートは「なんでもトップ」ということで高音パート専門だったので、ハイテナー募集となりました。

そんなこんなで、数日後、僕の所に一通のメールが届きました。
「もう何年もアカペラやってます。結構上まででます.... 」
数週間後、練習に来てくれた彼は即、6人目のメンバーに!
それがPHACOとの出会いでした。変な話、ZINGの急病がなければこの出会いは無かったでしょう。人との出会いって不思議ですね!

そしてわずか2週間前後の間に10数曲を覚えてもらい、11月末の京都四条高島屋前での初ストリートに向けて、急遽6人となったBREEZEは急ピッチで準備を進めて行きました。

(続く)

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2006年6月 1日 (木)

今日は友人の命日

2年前の今日、音楽仲間が病気のため、41歳の若さでこの世を去りました。
プロの合唱団でアルトのソロをとっていた女性で、何度も入退院を繰り返しながら、動けなくなるまでステージに上がっていました。

彼女とは特に親しかったわけではありませんが、演奏会の打ち上げでお話したり、合唱団のドイツ演奏旅行に僕もカメラマンとして同行したり、数年間の交流はありました。

いつもニコニコ、でも音楽に対してはプロらしい、真剣な態度で、僕もすごくいいオーラをもらっていた人物だけに、彼女の死はものすごくショックでした。
仕事を休んで葬儀に出席しましたが、友人の死を目の当たりにするというのは、僕にとっては初めての出来事で、あんなにつらいものとは思いませんでした。いっぱい泣きました。

「肉体は死しても魂は死なず」とよくいいますが、それをヒシヒシと感じます。
彼女の音楽に対する情熱と執念は、その合唱団はもちろん、僕にも今でも強い影響を与えてくれています。

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2006年5月22日 (月)

BREEZE回顧録No.1 〜出会い/始まり〜

96年秋、前々から興味のあったアカペラバンドを始めてみようと
具体的行動に移すこ とを決心し、パソコン通信の「仲間募集」の
コーナーで募集がないか物色していました。
当時はまだ「インターネットとは何か!」という本が売れていたほど
インターネット の黎明期で、「パソコン通信」なるものがまだまだ
主流の時代でした。
いくつか募集はありましたが、場所が遠かったりでなかなかすぐには
めぼしいところ が見つからず、一旦バンド探しも小休止.....。

年が明けて97年、再度物色開始!
そこで見つけた「男声アカペラバンド結成。京橋で練習しています!」
という書き込 みがあり、「大阪市内なら理想的かな」と思い、
見学に行くことにしました。
97年5月、京橋の時計前で待ち合わせ、そこで出会ったのが、
BREEZEの全身のバンドをスタートすることになった、TAMANS,
NAKAMURA, ZINGの3人でした。
もう1人居ましたがすぐにやめてしまい、結局4人でスタートすることに
決定!

たいていの場合、見知らぬ者が集まると、メンバーの方向性が違ったり、
アカペラにかける思いに温度差があったりするのが普通ですが、
縁もゆかりもない人間4人だったにもかかわらず、アカペラへの熱い
思いが全員共通だったのは驚きで、ラッキーでした。
まさに「運命的な出会い」だったと言えるでしょう。
見学だけのつもりで行ったのに、他のメンバーの熱さにつられてか(?)、
いつの間にか加入することに心は決まっていたようです。(^^;)

早速バンドの方向性と活動計画を4人で熱っぽく語り合いました。
「喧嘩してでも、いい音楽をやろう!」
「年末には関西一沿で毎週末ストリートライブをやろう!」
「3年後には関西アカペラ界のトップを目指そう!」
「天保山ロタンダやバナナホールでライブをやろう!」
などなど、みんな思いのたけを語り合い、年末のストリートに向けて
レパートリーをどんどん増やすために、夏までの練習予定をたて、
合宿もやりました。
今になって思うと、バンド結成の時点で、こういうベクトルの確認を
しておいたことが、今まで9年間活動が続いてきたことの布石になった
んだなぁとしみじみ思います。

当時は2週間に1回、金曜の夜ZINGのアパートで小さなテーブルを囲んで
熱っぽい練習の毎日!
リーダーのTAMANSが次々と持ってくる、耳コピした楽譜がどんどん
増えていきました。
ロッカペラや14カラットソウルのコピーがほとんどだったかなぁ。
スタレビのコピーもやりました。
とにかく金曜日が待ち遠しかった。
日によっては、練習が終わってからも熱が覚めやらず、
「どっかに歌いにいこう!」ということで、4人で車に乗り込んで、
真夜中にポートアイランドまで歌いに行ったり、京橋駅前で
歌ったり、とにかく「熱血バンド」でした。
レパートリーが2,3曲しかないのに、うれしそうにあちこちの駅前に
行ってはプチストリートをやっていました。(もちろんPA無し)
正式な(?)デビューは、TAMANSの友人の結婚式2次会で歌った時。

夏には「歌奉行」で活躍中だったSIMONSが加わり、5人体制になって、
バンド名もBREEZEに決定!
再度5人で合宿! 年末のストリートライブに向けて熱い練習が続いて
いきました..。Int06

(続く)

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2006年5月13日 (土)

関西アカペラジャンボリー

雨模様でしたが無事開催されました!
悪天候にも関わらず、開演前からすごい観客!

今年もいっぱい感動がありました。
がんばってる実行委員達のいきいきした顔。
ステージをすごくいい表情で見つめているたくさんのお客さん。
チキガリのみなさんとの1年ぶりのご挨拶。
Rag Fairのおっくんとの数年ぶりの思いがけない再会。
スタッフOB/OG達との再会。
思いがけない人との再会。
感動が一杯で、何度も目頭が熱くなりました。
このイベントを始めてほんとうによかった。

あしたは「よりアイ」だぁ!Kaja06

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2006年5月 1日 (月)

BREEZE回顧録〜序章

今月でBREEZEも満9歳でついに10年目に突入です。
9年もの間、毎年のようにメンバーチェンジがある中、一度も活動を休止する事なく、続けてこられたのも素晴らしい仲間達との巡り逢いに恵まれた事と、たくさんの方達に応援して頂いた事や、頑張っている他のバンドさん達のお陰だと思っています。
これからも当然5年10年と続けて行きますが、これからのBREEZEを考えるにあたって、これまでの事をいろいろ思い出しながら今後の事を考えていきたいし、最近のファンのみなさんだけでなく、現メンバーにもBREEZEの歴史を知ってもらう意味で、回顧録のようなものを書いて行きたいと思います。
最初数回は、BREEZEの歴史の大きな流れに沿って思い出に残った事、それから、これまで一緒にやって来たメンバー一人一人について語って行こうと思います。

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2006年4月26日 (水)

New BREEZE始動!

新メンバーのロビンを加えて再出発!
新しいBREEZEサウンドをお楽しみに!
http://www.brzw.net/2006040803

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2006年4月 6日 (木)

5/14(日)アカペライベントを主催します!

詳しくは以下HPへ!
http://music.geocities.jp/inoueman/
アカペラなら誰でも参加できる楽しいイベントです。

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